(引き続き)数江教一の侘び part2

「数江教一の侘び」……毎日、読みふけっておりますが……

最初の一周目に読んだ段階(要するに、ざっと斜め読み)では、気が付かない事や、見落としている事がザクザクと出てきます。

まだまだ「行間を読む」と言う段階までには至っていない部分ですが…

しかし、色々と新しい視点等も幾つか……
(もちろん、「山上宗二記」との事や、「珠光」「武野紹鴎」→「利休」等について他の視点も留意する必要はあるのだが…)

特に、「東山文化」に対する一つの視点として挙げられている「観想的」と言う視点……

確かに、この「観想的」と言う部分は、言葉使いとして「言い得て妙」な部分ではある様が気がする。
(まあ、まだまだ若造の考えている戯れ言なのでw)

そして、その部分から演繹され、または繋がってと言う事にもなるだろうが…?

「信長」「秀吉」等の”リアリスティックな視点・境地”と「利休」の視点との差異との絡みと言うモノとの関連性の部分
(本の中では、後半にはなるが)

は、非常に面白いと思う。

「何を持っての侘び」「冷え枯るる」「一座同心」と言うべきか……これを整理する事の続き日々ではあるが……

”一つの文章”としての「数江教一:わび」は、色々と考えるべき視点と材料を与えてくれるもので、これを丁寧に整理していきたい。