”新しきモノ”と”古きモノ”

茶の湯」「茶道」の面白い所は、その揺れ動く柔軟性と言う所であろうか?

等と大上段に書いてしまうと…後で取り返しがつかなくなりそうなのですが(w

”伝統”を維持していると言う事の特徴の一つとして、常に「新しきモノ」の挑戦を受けている…或いはそれに晒されていると言う事でしょうか…

当然に、その事を拒否する…或いは無視する…と言う事があって…いずれ”取りこんで行く”と言う過程を取る事がシバシバ…

その中で、様々な衝突(のようなもの)が起きたり、摩擦が起きたりして、”座りの良い形”に落ち着いて行く……

例えば……「楽茶碗」の様なモノもそうであったのだろう。

千利休の先見性と言うか、一つの価値観により見出される「楽茶碗」であるが…

豊臣秀吉の派手好みと絡んで、その道筋は平坦では無かった……「赤い楽」と「黒い楽」のどちらがどう…と言う事は無いと思うが…

新しいモノと古いモノとの折り合いの形を別の側面から見ている様な感じもする。

”炭は湯の沸くように”……この名言が示す…微妙な距離感を是とする茶の湯においては、そのバランス感覚の妙と言う部分が

”まさに伝統的”とでも言えるのだろう。