茶の湯の輝き

今回の大地震東北地方太平洋沖地震)も、大分、落ち着きを取り戻しつつある部分がありますが……

今、直面している様々な問題(被災者・被災地域への対応、原子炉への対応等)への対応と言う部分と

これからへの課題・対応と言う部分があります。

今のこの日本からは、結びつける事は困難な部分でもありますが……

既存の価値観や人生観が揺らいで、新しい価値観や未知への対応を迫られると言う部分では、「茶の湯」が確立に向かった

安土桃山時代”に、表面上は似ていなくても根底に流れる潮流の部分では似ているかの様な感覚を覚えます。

もちろん、それは下剋上が起こるとか、戦乱の時代になるとか、と言う事では無いのだと思いますが……

様々な事が、流動化し拠るべき指標が混沌として行く様な状態と言う点では、同じようなベクトルに向かって行くのかも知れません……

それは、利休がかって述べた「黒は古き心なり」「赤は雑なる心なり」のいずれでも構わないのですが

そのグニャグニャの先に見えるモノ……抜け出た世界がある事を信じて日々を送りたいものです。

コールタールの海の様な、或いは、虹色のフラクタルの様な世界があるのかは、不明ですが、その様な世界であったとしても

「人と人とを照らす茶の湯の輝き」に期待をしていきたいと……心のどこかで想いつつ……

人が感じ、人が紡いできた「茶の湯の歴史」ですが……この混沌の世の中とギリギリの所で対峙しているかの様な今のご時世だからこそ

この400年の積み重ねの所産をもって、”ある意味、模範的に” ”ある意味、ブラックボックス的に” 何かの役割を果たしてくれると良いかと思います。

文化は人と共に、歴史と共に、その裏表一体をなす関係にあるのだと思います。

そして、その文化を育んだ土壌と切り離されて存在をする事も難しいでしょう………

利休期(安土桃山)の武将達の、「今日は平穏でも、明日の命は不明」と言う状況下での”茶の湯”の役割が如何なるモノであったか?は……

一つの憶測に過ぎませんが、「自分」と「他者」の「生」を色濃く感じる一瞬でもあったでしょう。

今の日本が、この状態であるとは思わないですが……その精神は、心のどこかに持って、”茶の湯”に臨みたいものですね。